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よみもの » 制作者インタビュー » 制作者インタビュー~シリーズ“制作者のキャリア”三好佐智子

制作者インタビュー~シリーズ“制作者のキャリア”


第1回ゲスト:三好佐智子

(有限会社quinada代表/「サンプル」「ハイバイ」)

舞台制作のトップランナーに、これまでの道のりと仕事観を尋ねる新シリーズ“制作者のキャリア”。第1回目のゲストは、「サンプル」(主宰:松井周)と「ハイバイ」(主宰:岩井秀人)という2つの劇団を手掛ける三好佐智子。タイプの異なる2人の人気劇作家から絶大な信頼を受ける制作者が語る「起源」「挫折」「信条」とは?

仕事のノウハウは一般企業で学んだ

――演劇と出会ったきっかけは?

小学校の時に演劇部の公演を見たのが最初ですね。劇団四季とか歌舞伎とかバレエとか家族で良く見に行っていました。

――わりと小さい時から身近に演劇がある生活だったんですね。作る側に携わるようになったのはいつ頃からですか?

中学、高校で演劇部に所属してて脚本・演出をやったりしていました。

――そのまま大学でも演劇を?

そうですね。早稲田の第二文学部に入学して、昼も夜も演劇。役者をやったこともあるのですが、すぐに向いてないことに気づいて。その頃はまだ早稲田で「制作」というポジションが確立されてなくて、立て看板を作ったり、折り込みをしたりしているうちに何となく「こっちの方が自分には向いてるかも」と思い始めました。

――師事するような人は誰もいなかった?

教えてくれる人はいました。「制作」みたいなことをやろうとしていた人がいて、その人から色々教わりました。あと、その頃「ポツドール」の制作も少しやっていたので、そこで覚えたことはたくさんあります。

――なぜスロウライダーの制作を?

劇作家と出会った時、彼はただ強烈な存在感のある、俳優でした。その後上演した彼の舞台作品の戯曲が素晴らしくて、次の作品をやるために「制作」が必要で、それで「制作」になりました。また、主宰と劇作家を兼ねる必然性を感じなかったので、自分で「制作」と「主宰」を兼任して劇団を立ち上げたという流れです。

――大学卒業後は一旦就職されていますね?

ちゃんと仕事をして、食べていかないと生きていけないと分かっていたので、一旦就職をしつつスロウライダーをやっていました。その会社が一部上場しているベンチャー企業なんですけど、普通の会社で3年掛かることを1年で覚えなければいけないような、すごく過酷な会社で。「月420時間ぐらい働いて週5日は出張でホテル滞在」みたいなハードな生活でライフが極限まで減りました。そこでいろんな仕事のノウハウ、営業や広報の基礎は叩き込まれました。で、1年半で一度退職して、次の会社に転職したのです。

――あ、転職してるんですね?それはどんな仕事だったんですか?

ドイツ系化学企業の広報部で、仕事の内容は広報誌を作るとか、新聞・雑誌の取材対応とか。社員旅行や忘年会の幹事とか”ショムニ”みたいな要素もあって幅広かったです。「制作」と共通する部分が多かったかも。フレックス制で、休暇が多かったこともあり、いったん減ったライフを回復できたし、英語をビジネスで使うきっかけになりました。また上司が優秀な人だったので、その人から徹底的に仕事方法を仕込まれたっていうのは、今の自分の基礎になっています。よく、あの人ならこの作業、秒速で終わっているだろうとか、ここであきらめて寝たりしないだろう、とか今でも仮想の彼女をトレースしたりしています。それから、外資系で働いている日本人や外国人の「プライベートを充実させるために、働く」というスタンスに強い影響を受けました。例えば部長クラスの人が子供を送って10時に出勤したり、お迎えのために15時に退社したり。1ヶ月休暇をとって海外旅行する人や、1年休職して絵画の勉強をする人がいたり。当たり前のようにプライベートを優先している。日本の企業だと「超働く=かっこいい」部分がありますが、その会社はドイツ系だということもあって全く違いました。以後、「幸福で健康な生活」が(キナダのコンセプトにもありますが)自分にとって不可欠なテーマとなりました。

――当時、すでにご自身の会社(有限会社quinada)を起業されていたわけですから、将来的には独立することを前提で働いていたんですね?

いや、迷っていたと思います。「演劇だけでは食べていけない」のは自明で、転職で演劇と仕事を両立できるベストな環境に変わったわけだから、やめる必要がない。当時は「40歳、50歳ぐらいまで働いていくだろうな」って思っていましたね。

――そこにはどれぐらいいらしたんですか?

4年半ぐらいですね。

主宰劇団での挫折と、松井周、岩井秀人との出会い

――スロウライダーでの活動はどのようなものだったんでしょうか?

スロウライダーはその時点で7年活動をしていて、私が辞める公演が10本目だったんですね。ペースとしては1年で1~2本の上演をして、徐々にレギュラーの俳優が固まってきていて。ただ観客動員が(私が)思うようには伸びず…。いや、動員というより、これは旗揚げ間もない劇団なら大抵経験することですけど、助成金がとれても小額だし、劇場費が掛かるのでずっと赤字だったんですね。出演者や制作や劇作家にギャラを発生させることはなかなか出来ないことで、最終的には「動員が伸びないのは、私と作家のどっちがいけないのか?」ってところにまで2人が追い込まれていきました。私自身は「自分のせいだ」って思っていたんですけど、それすらも相手には「当てつけ」のようにみえたかも。その精神的な追い込まれ感がきつかったですね。人間関係もだけど、自分の能力が足りないというか、どう頑張っても状況が好転しないという「現実」が苦しかったです。9本目にやった『Adam:ski(アダムスキー)』(2007年)という作品が自分にとってはとても面白い作品だったけれども、動員は1000人に満たなかったし、戯曲賞の候補にもならなかった。評判にもならなくて次に繋がらなかった。それで、「これはもうどこにも打開策が見い出せないな」っていう「現実」を突きつけられた気がしました。

――退団後も制作を続けていったのはどうしてですか?

その頃には松井(周)さんと岩井(秀人)さんの制作もやるようになっていて、理由はそれだけです。サンプルもハイバイも伸び盛りで、水を与えればすくすく育つような状況だったのが、シンプルに楽しかったです。

――あ、そうだったんですね?お二人との仕事は、スロウライダーを離れてからだと思ってました!

そうなんですよ。スロウライダーを辞める最後の1年は3劇団の制作をやっていました・・・。それでさすがに、OLやりながらでは回せなくなったので会社を辞めました。やっと演劇だけで食べていけるようになったわけですけど、今思えば結構色々なことをいっぺんに決めた壮絶な時期でしたね(笑)。辞めた後の生活より、辞める前1年くらい悩んでいた時期がきつかったです。

――お二人(松井さん、岩井さん)と仕事をすることになったきっかけは?

松井さんの場合は、もともとスロウライダーの劇作家と二人で、彼の作品のファンだったんです。それまでは「制作やりませんか?」という外部のお話は全部断っていたんですが、松井さんからお話を頂いた時に「どう思う?」って彼に訊いて「今回だけはやりたいことをやったほうがいいと思う」って言われたので、思い切ってやってみることにしました。 岩井さんの場合は、最初に飲み会で会った時、開口一番「なんか、あんたムカつくな」みたいなこと言われて(笑)、「なにこの人感じ悪いなー」って思ったんですけど、「これ見てみてよ」って渡されたハイバイのDVD(ポンポン初演)がものすごく面白くって、「これはどうしてもやりたい!」って思いました。それからしばらくは「制作協力」という形で、2008年の『て』(駅前劇場)から正式に「制作」として参加することになりました。

――「制作」を受託するかどうかの判断は、作品の“面白さ”を基準にしているんですか?

実際、「劇団を売る」ために制作をやっている部分ってあると思うんですね。そうすると、「その劇に動員できるかどうか?」っていうのは、「脚本の良さ」に極まります。脚本が面白くないものは、絶対に売れないんですよ。そういった意味でDVDからですら、岩井さんには抜群に才能を感じましたね。

――しばらく「制作“協力”」だったのはなぜですか?

岩井さんってすごく個性の強い人だし、私もそれまでワンマンで主宰と制作をやっていたから、自分のやり方を曲げるっていうことがまぁ苦手なんですね。実際、「制作“協力”」だった時期でも相当喧嘩しましたし。それに「サンプル」はたまたま劇団化第一作だったので新しいやり方をやらせてもらえるタイミングでしたが、「ハイバイ」はある程度自分たちで制作をしてきた人たちだから「実績を上げないと認めてもらえないだろう」と直感的に思ってました。

――「実績を上げる」ためにどんなことをしましたか?

「ライターさんとかは誰と仲がいいですか?」って訊いたらいろんな人の名前が挙がったんですけど、それが「線として繋がっていない」印象を受けたんですね。メディアリストが整理されていないな、と。それでまず、「ハイバイのファンを作りませんか?」って提案しました。最初にやったのは、『おねがい放課後』(2007年)の時に、ハイバイのプロフィールが分かる絵本と舞台写真をオリジナルエコバックに詰めた「ハイバイセット」っていうのを作って、来場したライター、編集者、劇評家、劇場関係者などのステークホルダーに「今度制作協力で入った三好です。ハイバイという劇団を改めて知っていただきたくてこれを作りました」って手渡していきました。とにかく「ハイバイのことを覚えてもらおう」という作戦です。それは、ほかの劇団では出来なかったことで、ハイバイの個性に合っていることだからこそ可能だったんですね。結果的にその公演の劇評が後でぶわーっと出たこともあって、岩井さんも「広報って楽しいね」って思ってくれたようで、さらにその次の公演の時には一緒に情宣に来てくれました。「こういう風にしてネットワークを作っていくんだ」ってことに気づいてそれを面白がってくれたんですね。それでその次から「制作をやろうか」って話になったと記憶しています。

――スロウライダー時代とは、アーティストとの関係性がずいぶん変わったように思いますが、それは意識されてましたか?

「結婚してる人と仕事するのって、なんて楽なんだろう」って思いました!

――え?それはどういうことですか?

劇団の頃は、ネタ出しのために泊まり込むとか、深夜に5時間ぐらい電話で話すとか普通にしてたし、完全に劇作家と私は体の一部というか共生してる部分がありました。脳味噌も、何か面白いものやきれいなものをみて、心に残ることがあるたびに「彼はどう思うだろう?」みたいなことを考えていたんで、(きっと私だけではないけど)生活のペースが完全に相手本位でしたね。それに比べると松井さんも岩井さんも結婚しているということもあって自然と「線」が引けるから「楽だなー」って。それに二人とも多分そういうのに慣れてるからだと思うんですけど、重い荷物を持ってくれたり、打ち合わせの時にはお茶代を払ってくれたりする(笑)。それには最初、「え?人間扱いされてる!!」って感動しました。それまでそんなことされた記憶がなかったから。

――「自分で作った劇団」と、「後から参加した劇団」との違いもあるんでしょうね。一方でキャリアのある劇団に後から加わる難しさもあると思うんですが、「サンプル」と「ハイバイ」とは相性が良かったんでしょうか?

サンプルは「青年団」の流れを汲む独特の“家風”があります。(外からはわからないかもしれないけど自分的には)慣れるまで、2年か3年ぐらい掛かったと思います。 ただ、大事なことは、スロウライダーを辞める時に「制作もOLも何もかも一度辞めよう」と思っていたのに松井さんと岩井さんの作品があったから「まだやりたいことがある」って演劇界に残れたことです。今でも、いつも心は揺れていますけど、「この二人の作品に関われなくなるときは、制作をやめてもいいかも」って思います。やっぱりそんなに多くの人に心を尽くせないですからね。

――同時期に上り調子の劇団を掛け持ちすることでの苦労もあると思いますが?

よく「どうやって2団体やってるんですか?」って聞かれるんですけど、多分、単純に2倍働いてるんだと思います。だから、最近はサンプルとハイバイの公演期間の間隔が狭まってきてることが辛いです。大きな特徴は、それぞれの劇団の方向性が全く違うこと。岩井さんはどっちかというと映像業界の方に注目されたり、観客は学生から普通のおばちゃんまで幅広かったりする。松井さんは文学やアートに興味と、素養がある人から特に注目されている。ということは、ノウハウを転用することが必ずしもできないので、何をやるにしても1から準備していかなければならないんです。これがすっごく楽しいですけど、大変な点でもあります。出会う人も話す内容も全然違う。たまにサンプルでは知的レベルの高い会話がとびかって、何を話してるのか分からない(笑)。難しいカタカナを使って「社会性」とか「公共性」とか言ってるけど「何の話だろう?」って(笑)。で、こっち(ハイバイ)はこっちで、「ゲームにitunes cardで課金?2,000円でお相撲のキャラクターを買った?何やってんの?」って子供っぽさが時にはあって。二つの世界をいったりきたりしています。

――(笑)何か対策は講じていますか?

今やっているのは、quinadaの層を厚くすることです。例えば、あるスタッフが語学留学をしていたり、あるスタッフが1年の大半を外部の仕事で、現場に出てたりしたんですけど、各自のキャリア志向を前提にその上で、加速度的に忙しくなっている「サンプル」と「ハイバイ」をクオリティーを下げずにいかに回していこう?どうやってquinadaの総合力をあげていこう?ということをいつも考えています。「勉強したいんです」って集まってくる方たちも含めて、層の厚い会社にしていかないと。

制作者に必要なのは「保つ」という意識

――quinadaというカンパニーについてもう少し詳しく聞きたいんですが、現在中心となっているのは三好さん、中山(静子)さん、坂田(厚子)さんの3名ですか?

はい。まだ固定給が出るほど経営規模が大きくないので「契約」という形で、その代わりそれぞれが割と自由に外部の仕事もやっています。「基本的に3人が一緒にいることに意味がある」っていうスタンスで。もともと中山から「3人でやらない?」という話がでて、それは(今後は)「1人で2劇団をやる」ではなくて「3人で7劇団をやる」というように、1人1本から適材適所へ、考え方を変えたほうがいいのでは?という彼女のアイディアでした。 適材適所といえば、3人の資質は全然違います。私は「企画」「広報」をやるタイプだし、坂田は現場の「運営」「進行」、中山は「助成金」「票券」「数字一般」に強味があります。だから、3人でお互いの能力を活かして「それぞれに楽しく仕事をしましょう」と考えています。実際には劇団数を増やすことはありませんが、3人体制になってから、「サンプル」と「ハイバイ」の仕事が目の回るほど忙しくなってしまったので、今はそれぞれのスケジュールをいかに上手に調整して、その2つの劇団とほかの仕事をこなし、トータルの売上を高めていくかっていうことを考えています。

――今後はどうしていきたいですか?

海外にマーケットが存在するので「海外公演で収入を得れたら」というのが一つと、中山、坂田それぞれにやりたいことを実現するためにも、やっぱり収入を大きくしていく必要がある。だから、一つ一つの仕事のクオリティを維持するために新しい人材を育てていくっていうことが、当面の課題です。10年、20年スパンで考えることは今はちょっと出来ないですね。「クオリティを下げない」かつ、「折れない」ってことが大事だと思ってますけど。

――松井さん、岩井さんに続く次の存在は考えていない?

考えていないですね。ただ、心のどこかで探してはいますけど、単純に興味があって。

――それはあくまでも作家が基準?

はい。私はもう、そこはハッキリしてます。

――「制作」という仕事に対してのこだわりは?

「遅刻しない」「嘘をつかない」「倒れない」…ということが制作者にとって一番大事なことだと思います。あと、「保つ」っていう意識を持つことも制作者には必要ですよね。

――保つ?

例えば、容姿がすっごいキレイである必要はないんだけど、落ちていかない、衰えないようにする。体力もすごくなくてもいいけど、どんなに寝なくても倒れない。テンションもそんなに上がらなくていいから、いつも一定に「保つ」ことが重要なのではないかと。俳優は稽古場と同じテンションで舞台に上がれた時にいい演技をするとしたら、作家も同じで、例えばアゴラ劇場のテンションでパルコ劇場に臨めたら実力を発揮しやすい。だったら、周りが波風立てたり怒ったりしていて、彼らに不安を与えることが多分一番良くないことで、そういう意味では「この人は根本の、芯の部分がブレないな」っていう安心を与えることが制作者にはとても大事なことかもしれません。で、それは簡単なことではないし、私には苦手なことでもあるので、だからこそ心身ともにメンテナンスをするように努力しているのです。

――例えばどんな?

私の場合、少し自閉気味というか、毎日同じリズムで生活していないと不安定になりやすいんですね。だから、毎朝青汁を飲むとか、毎夜入浴をするとか、寝る前にストレッチをするとか、細かい自分のルールをいつ・どこでも必ず踏襲していくようにしています。それから、オフには会いたい友達と食事をして頭をリセットする。とにかく、人に迷惑をかけないように、自分のメンテナンスは自分でしていたい。仕事上、どうしても作家のリズムを優先して自分の意思では体も心もコントロールできないことが多いので、普段の自分のメンテナンスは自分でやるしかないっていうことでもあります。

――三好さんは制作者のキャリアアップについてはどんな考えをお持ちですか?

「キャリアアップ=出世」という意味で言えば、そういう志向が強い人は現場制作に向かない気がします。現場で制作をやりたいっていう人にとっては、「面白い作品を作りたい」ことを全てに(出世より)優先できることが、適正なので。それを前提としてキャリアアップの方法がどんなものかって考えると…私は制作者のはじめの段階でまず必要な要素は、「コミュニケーション能力」「センス」「体力」「合理的な判断力」「事務処理能力」「献身」で、これが成長すると「センス」「交渉力」「安定感」「マネジメント力」「財力」「社会性」に変わっていくとアバウトに考えているんですね。で、もし「出世」したいなら、その中でも特に「マネジメント力」が必要になってくるんじゃないかと思います。今私が修行中なように、「自分の現場をキープするために、人にいかに仕事をふれるか」ということが大事ですね。

――「献身」という言葉がセカンドステップになるとなくなるのが興味深いです。「献身」は初期衝動のエネルギーとして必要だけど、そこから「いかにして脱するか」が次のステップの鍵になる。

「作家を食わせる」「劇団を食わせる」ってことを実現できるぐらい能力がある人にはお金はついてくるだろうし、その劇団がダメでもどこからかヘッドハンティングされると思うんですね。「不当に奴隷的なことをさせられた」って思ってる人は本当に「不当」だったのな?と。アーティストの能力を見抜けないのは制作の責任だし、時間はかかるけど自分で結果を出してからでないと何も主張すべきではない。 私の「ハイバイ」の最初のギャラは5,000円で、でも今は金額が変わっていて、それは少しずつ働く量を増やしたし、貢献を理解してくれる人たちだったからで。その5,000円は「この人たちはちゃんと形で応えてくれる」って当時感動したこともあって、今でもポチ袋ごととってあります。 話はそれましたが、「献身」は必要な感性ではあるけれど、どこかで自分だけではなく相手を変えていくことができたときに、次のステップへ進めるのではないでしょうか?私は人の2倍働いているので、私より働いてないで「制作=奴隷説」を唱えている人には「四の五の言ってないで働け!」ってちょっと思います

――でも実際には、そういう状況で迷走していく制作者は少なくないですよね。

「自己実現」と「創造活動」をごちゃ混ぜにしてしまいがちですよね。そういった事に疑問をもったりしたときにquinadaの3人で話せるようになったことは、私にとってはすごく大きな出来事でした。中山も坂田もクレバーだし、迷いがない。私がゴチャゴチャと考えていることを一刀両断してくれる、句読点みたいな人たち。話を聞きあうのはお互い様なので、3人とも制作寿命はかなり延びてるんじゃないかな?人は人にしか救えないと思うので、横の繋がりが大事だなあと、ひしひしと思いますね。

取材・文/郡山幹生
写真/大澤歩

■三好佐智子(みよし・さちこ)■
79年生まれ。早稲田大学卒業後、コンサルティング企業、外資系化学企業広報部で勤務。04年有限会社quinada(きなだ)設立。 スロウライダーの制作を経て、07年より松井周(サンプル)、岩井秀人(ハイバイ)を担当。10年より庭劇団ペニノの海外公演も担当。 今春開講の「Next舞台制作塾」第1期でナビゲーターを務める。
「Next舞台制作塾」:http://www.next-nevula.co.jp/seisaku-juku/


■インフォメーション■

サンプル 『女王の器』
■作・演出:松井周
■出演:古舘寛治/古屋隆太/奥田洋平(以上、サンプル・青年団)/野津あおい(サンプル)/岩瀬亮/羽場睦子/稲継美保/川面千晶/菊池明明/とみやまあゆみ/師岡広明
■日程:2/17(金)〜26(日)
■会場:川崎市アートセンター アルテリオ小劇場
■チケット料金:3,500円 他
■公式サイト:http://www.samplenet.org/

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